めだかボックスについてコメントをいただいて、
そのレスを書いているときにふっと気が付いたんだが。
副会長戦なのですが、私の考えでは「捨て試合」に値していると思います。
・話の主役格に値するめだかちゃんや球磨川に関する話が皆無
・球磨川自体不在なので介入も難しい
・戦っているキャラクター自体の人気も確立されていない
以上を踏まえると「人気の取れない試合」なのではないでしょうか。でも、全体のバランス的には必要な配置だったと。
そうすると、ずるずる続けてもしょうがないので、さっさとバトル漫画を済ませてクライマックスにもって行きたかったのではないと考えております。
西尾先生はプロットをきっちり立ててその通りに書く作家ではないのか? と私は推測しております。
会長戦もつまるところ精神論を述べたいだけだと思うので、延々とバトルをする必要はなかったのでしょう。
そう考えると、めだかボックスは過程よりも結論を重視していて、言葉上の理屈が先行しているために、純粋なバトル漫画やジャンプ漫画とは一線を画しているのかもしれませんね。
(行く先不明なのがジャンプ漫画の醍醐味だと思うのでw)
まあ自分で書いたものに引用なんてものはないと思うんだがな。
『めだかボックスは過程よりも結論を重視している』というところが
個人的にはなかなか核心を突いたんじゃないか? となった。
安心院さんも言っていたが、色々迷走して打ち切りになれよ的なこと。
それがジャンプらしさであって、バクマン。でも指摘していた
あまりよくない体制なのかもしれないと思った。
アンケート至上主義だからこそ票が取れなくて迷走し
ファンに媚びたことをやってみたりもしちゃう。
作者がきっちりと最後までプロットを立てていなかったり
プロットを変更してかかるからこそ、
先の見えない展開や超展開なんかをかましてくれちゃう。
これら全てが週刊誌的なリアルタイム感で
ジャンプ誌上における広がりの感覚なのかなって思う。
大場つぐみ先生と西尾維新先生の違いは、
おそらくそのリアルタイム感を身につけているかどうか
じゃないのかなあなんて思ったり……。
大場つぐみ先生は、最初から最後までのプロットの芯は通して、
不確定要素で遊びを出しながら進めているんじゃないかな。
平丸先生と蒼樹先生の結婚はそういう面があったと思う。
福田先生の方が人気だったら蒼樹先生は
そっちと付き合っていたんじゃないかな……。
反面、西尾先生はここでこうすれば人気が出るから
このキャラをこの位置に入れていけばいいっていう計算があって
物語を作っているんだと思う。
すげー発見した気分だっぜ!
週刊誌のリアルタイム感は漫画家と小説家の違いなのかな?
それとも、プロットを消費したらリアルタイム感出してくるのかな?
それとも小説で言う二巻三巻構想で来るのかな……wktk